Jun 27, 2011

害虫駆除カメムシとの戦い

害虫駆除で、辛いのがカメムシです。ちょっとした隙間にも侵入してきます。家に侵入しないので、回避剤を散布して近づけないようにしているが、窓やドアを散布しても薬剤の届かない場所を見つけることです。やはり家まるごと害虫剤、毎年噴霧する必要があるようです。カメムシとの戦いは永遠に続くでしょう。
昨年から時々屋根裏部屋にある布団などをネズミにかじらしてしなくてしまったりしていたので、害虫駆除を専門とする業者さんに治療を依頼しました。害虫駆除を専門にしているだけに、調査の見積もりから始まり、進入経路等を特定していただき、捕獲シートなどでマウスを取得、ジュウィガデロそのような場所を遮断していただき、以来、一切マウスが出なくなりました。
 積雪予想、アブラムシにもできる? 仙台市の「富沢遺跡保存館(地底の森ミュージアム)」(太白区)が、2万年前の植生を再現した屋外自然観察施設「氷河期の森」で、害虫のアブラムシを駆除せずに、その卵の位置と積雪の深さの関係を調べている。カマキリが積雪より高い位置に卵を産み付けるという俗説は有名だが、保存館職員によると、昨冬からの調査で、アブラムシにも同じ傾向がありそうだという。
 調べているのは、広葉樹ハンノキに産み付けられたオオアブラムシの卵。成虫は体長5ミリ程度で、卵は晩秋から初冬にかけて樹皮に産み付けられ、そのまま越冬する。春にふ化する幼虫は分泌物で葉を汚すなどし、木の生育を妨げることがある害虫とされる。
 卵は職員らがおととし11月中旬、推計で約3000個の塊を初めて発見した。森の生態系バランスを考慮し、同館は駆除を見合わせ、経過を見守っていた。今冬は昨年12月中旬、遊びに来た小学生が別のハンノキの幹で約1万個の卵の塊を見つけた。
 卵の位置は、昨冬が高さ1メートル10センチ前後、今冬は60センチ前後。「氷河期の森」の積雪は最も深いときで昨冬は25センチ(昨年3月10日ごろ)だったのに対し、今冬は今月9日と同15日の1センチ前後にとどまり、卵の高さと積雪の関係は今のところ、「カマキリの俗説」の通りになっているという。
 観察は、森の様子を約10年間、ほぼ毎日記録している同館学芸員長田麻里さん(36)が担当。カマキリのほか、いろんな虫の卵でも「産み付けられた位置の高低で、冬の積雪量が分かる」という俗説が各地にあると知ったのをきっかけに、積雪との関係を調べるようになった。
 長田さんは「木の生育に影響がないうちは駆除せずに、観察対象にしていきたい」と言う。来館者が減る冬期間の「呼び物」としても期待している。
 虫の生態に詳しい仙台市科学館の佐藤賢治学芸員は「卵と積雪量の関係を実際に計測、記録する活動はユニーク。カマキリの俗説も科学的には立証されていない。アブラムシについても、真偽を確かめるにはより長期間、より広範囲のデータが必要になる。関心を持って観察する人が増えてほしい」と話している。

 神戸市は27日、同市中央区の旧外国人居留地で、江戸時代に発生した南海地震の津波で堆積した砂の地層が見つかったと発表した。マグニチュード(M)8を超えたとされる1707年の宝永地震か1854年の安政南海地震の痕跡とみられ、市は「南海地震の津波が神戸まで達した証拠。今後の防災につなげたい」としている。

 地層は海岸線から約500メートルの同市危機管理センター建設予定地で発見、同志社大の増田富士雄教授(堆積学)が鑑定した。地下約1・5メートルの砂の層で、泥がほとんど含まれておらず、海から運ばれたとみられる。砂粒が南北の方向に将棋倒しに並んでいることから、川などの氾濫によるものではなく、津波の強力な水流に運ばれたとみられる。

 この地層の上下に明治期に整地された層と江戸初期の層を確認。堆積物の年代を絞り込んだ結果、宝永地震と安政南海地震のいずれかによる津波の痕跡の可能性が大きいと判断した。

 また、砂の層は当時の標高2メートルの部分にあたることも判明。江戸時代の津波被害については、大阪や和歌山などについて文献などに記録が残っているが、神戸が被害にあったことを示す文献などはなく、同市は神戸にも津波被害があっことを裏付ける資料として注目している。

 増田教授は「年代が比較的よく分かっており、地震による津波の被害を理解するうえで意義がある」と説明している。

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 ◇県文化財保護協会「城内の空間利用明らかに」
 近江国守護・佐々木六角氏の家臣、宇野氏の戦国時代後期(1550年〜70年代)の山城とされる関津(せきのつ)城遺跡(大津市関津3)を調査していた県文化財保護協会は26日、主郭と考えられる区画内で物見櫓(やぐら)とみられる建物跡が見つかったと発表した。同遺跡ではこれまでに日常雑器や土蔵跡が見つかっており、同協会は「戦闘だけでなく日常生活や儀礼など、城内の空間利用が明らかになり、城郭研究を進めるうえで貴重な資料」としている。【前本麻有】
 国道422号バイパス改築工事に伴い、09年8月から約4700平方メートルを調査。これまでに、標高100メートルと同103メートルで居住に利用されたらしい雑器や井戸が、同109メートルで穀物貯蔵施設とみられる土蔵跡が見つかっている。
 今回は新たに、標高118メートルに位置する平たんな区画(約13メートル四方)で、2棟の掘っ立て柱建物跡(4メートル四方と4メートル×5・2メートル)を確認した。区画の南東半分に片寄って配置され、区画入り口の門跡との間が空き地になっているため、同協会は「建物は戦闘に備えたものとは言い切れない」と判断。付近では盃や酒瓶とみられる陶磁器も多数見つかったことなどから、物見櫓や舞台など儀礼的に使われた可能性があるとみている。
 村田修三・大阪大名誉教授(城郭研究)は「関津城では、山上郭は飾りに過ぎなかったのでは。宴のもてなしとして案内する高楼としては効果抜群だ」と話している。
 現地説明会は29日午後1時半から。問い合わせは同協会(077・548・9780)。

1月27日朝刊

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